【阪神大震災】鎮魂「京連鶴」6434羽、妻を思い折り続け(産経新聞)

 「みんなに震災を知ってほしい」と作った「震災紙芝居」を昨年披露してから、また一つ年を取った。82歳の男性は、今度は震災で亡くした妻への思いを込めて、幾羽もの折り鶴が羽根の先で連なる「京連鶴」を折り始めた。6434羽、被災者たちと励まし合った15年の思いを込めて、震災の犠牲者の数まで折り続けたい−。鎮魂の祈りが和紙に込められる。

 神戸市兵庫区に住む桜井健さん。平成7年の震災で妻の房子さん=当時(64)=を亡くした。「おーい」と呼べば、必ず飛んできてくれる明るい妻。だが身動きできなくなったあの朝、「おーい房子、助けてくれ」と叫んでも、返事がなかった。

 「お母さん、あかんかった…」

 娘の話で妻の死を知ったのは、搬送先の病院でだった。いったん兵庫県高砂市に移り住んだが、毎日が寂しく、自宅で開いていた学習塾の子供たちのことが気になった。寄る年波も考えたが、再建を決意。翌年4月に再開した。

 子供たちの明るい声は戻ってきた。しかし妻の姿はない。房子さんと知りあった大学時代のころのこと、神戸でブティックを開いたこと…。楽しかった日々を思いだすのはとてもつらく、それをまぎらわすために、短歌と絵(水彩画)を独学で始めた。

 80歳を迎え、震災当時の様子を紙芝居にしようと描き始めた。倒壊した高速道路、近所の人に助け出された自分、そして房子さんの葬儀。筆が進まず、ただ泣いた日もあった。2年がかりで完成し、昨年、防災教育施設「人と防災未来センター」(神戸市中央区)に寄贈。「一仕事終わった」と思った。

 生きている人に伝えていく“仕事”は終わった。今度は、亡き妻に、亡き人たちの魂に向けて、何かをしたくなった。そんなある日、一枚の和紙から作る何羽もの折り鶴が羽先で連なり、さまざまな形を作る「京連鶴」のことを新聞で知った。著者に手紙を書き、本を送ってもらった。

 小さな鶴が細い羽先でつながり、さまざまな形を作り上げる…。一人ひとりは小さくても、支え合い、助け合ってきた被災者の、そして自分の15年間が重なった。一日一日、折れる数は少なくても、全犠牲者の鎮魂のために6434羽を折ろうと決めた。

 「後ろ向きになったらあかん」。生きること、頑張ること、人生を楽しむことも「妻の分まで」とかみしめている。

 うまくできたら、こう問いかける。「おーい房子、見てるか…」

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